Suica事件
その日私は苦手な電車に乗って、病院へ行き、また電車に乗って返る前に文房具を買い、ようやく帰路につこうとしていました。
すでに一日のうちに耐えられる辛さの量の限界に達しており、疲れて身も心も不安定気味でした。
ところが駅の改札を通る前に、Suicaがないことに気がつきます。
あれ?確かコートのポケットに入れたはず。
ない。ない。パニック気味にありとあらゆるポケットを探し、リュックの中をガサゴソとかき回し、それでもSuicaは見つかりません。
泣き叫んでリュックを放り投げたいような、そんな衝動の波が襲ってきます。
「どこかで落としちゃったみたい。」
青い顔をして、私は付き添ってくれていた母に伝えます。
慣れていないことが起きると、それまで安定していた大海に地震が起きます。震度が強ければ強いほど波にも影響が出るし、海の深い所で起きる地震は津波につながります。ましてその地震が一日のうちにいくつも起きると、波は荒れまくりです。
この日は退院した次の日で、電車に乗ったのもいかだで大海原へ出たかのようにチャレンジなことでした。
文房具屋さんでも商品の多さに圧倒されるなど、疲れも予想以上でした。
そこでSuicaをなくしたのに気がつくというのは、とても辛い出来事だったわけです。
パニックのままに振る舞いたい衝動に耐えながら、私は現実的に行動しようと探すことに頭をシフトします。母と手分けして、昼食を食べたお店と、文房具屋さんに落とし物が届いていないかを聞きにいきます。どちらも空振りでしたが、文房具屋さんのスタッフに電話番号を渡し、交番や駅にも聞きにいくと良いとアドバイスされます。
アドバイスに従い、私が交番に行っている間に、母には病院に電話をしてもらい、病院に届いていないかを確認してもらうことにしました。
知らない&警察官という威圧感のある人に、1人で話しにいくのはこれまた勇気の要ることでした。
届け出の書類を書いていると、病院に電話をし終えた母がそわそわした様子で交番に入ってきたので、「どうだった?」と聞くと、「病院バスでひとつ、Suicaの落とし物があったみたい。」と母。
私は「あ、まだ書類書いている途中なのに...」と一瞬混乱し、踏むべきステップが分からずに困りました。やっている作業を中断するのは気持ちに余裕がないときの私にはとても難しいのです。人参やジャガイモの皮むきを、ピーラーで最後までシャッ、とやらずに置く感じ。
結局取りにいくことを決めたものの、自分では行く元気がもう残っていなかったので母に取りに行ってもらうことになりました。
しかしこの時になって、ここまでにかけた数々の迷惑が私の頭を駆け巡ります。
母に始まり、駅で固まってガサゴソしていた時に私をよけて通らなかければいけなかった人たち。昼食をとったお店の人。文房具屋さんのスタッフ。警察官のおじさん。バスでSuicaを発見して届けた人。電話を受けて確認をとってくれた病院の人...
みるみるうちに自分を責める気持ちに圧倒され、そしてたった今起きている(起きた)現実にも、初めて足を止めて気がつき、きっととても辛いことが起きたのかもしれない、と思うと、ようやく「ヒーーーン」と辛い声がわいて出てきました。
母に「ちょっと座ろう」とベンチに誘われ、スキル(病院でやっているDBT)のファイルを読みながら起きた現実をマインドフルに見つめるに至り、しばし泣くことを自分でゆるし、少し落ち着いたとこで母に「じゃあどうするか」を相談できました。
ここまでがこの日のトラウマ体験#1になります。(※強いストレスがかかった出来事の意)
この出来事で、「もう外出はできない」「もう病院には恥ずかしくて行けない」など「もうひきこもってすべてを遮断したい」につながる、色んな考えが浮かびました。母にも申し訳なくて、「もう助けは求めちゃいけない」と思いました。
もしかしたら、「え〜そんな些細なことで!?」「Suicaなんて私だって落としたことあるよ〜」などと思うかもしれませんが、今の私にとって、普通の人なら「あーあやっちゃった」で済むようなことが、大きな地震になってしまうです。
スピーカーは電気信号を物理振動に変えて音を拡声します。例えるなら、私の中には辛さのスピーカーがあるという感じです。脳の神経の電気信号が、身体や気持ち、考えに、振動を起こすとして、それが強すぎると地震級になります。胃痛や頭痛、筋肉の緊張といった身体的反応、耳を塞ぎたくなるほどつらい考えの数々(耳を塞いでも変わりませんが...)、のまれて溺れて苦しいほど大きな感情の波。スピーカーが音を拡声するように、私の中のスピーカーは辛さを拡声 ならぬ"拡辛"しているようなイメージです。
Trauma Is A Whole Package. トラウマは丸ごとパック
トラウマになる時というのは、強いストレスが起きた瞬間に存在した、すべてのものがまるごと「悪い出来事」として脳にストックされてしまうように思います。
偶然居合わせた周りの人、その日の天気、自分のはいていた靴、聞いていた音楽、着ていたコート、特定のにおい、直前の自分の行動、相手の服装、相手の人種、相手の年齢層、相手の見た目の特徴、それが起きた場所そのもの...
実際に苦痛を引き起こしたのは、ストックされたいくつもの要素の中の小さな一つかもしれないのに、トラウマはなんだか丸ごと全部が悪かったことのパックにされてしまうような気がするのです。
例えば私の母は、まだ私や兄が小さかった頃に父の運転する車で事故を体験したことがあります。未だにその車の車種名を聞くだけで、怖くなったり嫌悪を感じたりするそうです。
又、父は最近まで中華料理の青椒肉絲が嫌いだったそうです。昔、中華街で入ったお店で、別の人が食べ残した青椒肉絲をもとの鍋に戻しているのをみて、「もう絶対食べない」と思ったらしいのです。最近になって、美味しいだったら食べられるようになったそうですが。
トラウマがどれだけ重傷かとか軽傷かとかの価値判断はさて置き、私からしてみれば、車種が悪くて怖い思いをしたのだろうか、とか、青椒肉絲よりもそのお店の人が問題なんじゃないかしら、とか、そんな風に考えるのですが、トラウマ体験を抱える本人からすれば、丸ごとパックでストックされて「危険」と認識している訳ですから、危険なものは危険なのでしょう。
私自身、丸ごとパックでストックされた体験が重いのから軽いのまで数々あります。故に、私には危険でNGなものが数多く存在するのです。今は一つ一つの本当の苦痛ポイントを解明することができませんが、丸ごとパックの気づきは大きいんじゃないかという希望はあります。
長くなりましたが、次回はこの日に起きたもう一つのトラウマ体験の話と、それが丸ごとパックされなかった理由を書きたいと思います。
「何か悪いことが起きたときに
それが起きなければ良かったと願っても何も変わらないわ。
選択肢はひとつ。ダメージを最小化することよ。」
(『ダウントンアビー』より。)
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