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執筆者の写真Yukiko Yoshida

躁状態のソーナンダ①


不安定・不調・不満の3Fでした

記事をちょこちょこと書いてはいたものの、ひとつも満足がいかなかったり、色々な理由から具合が悪くなってしまったりして全然更新ができませんでした。

映画や海外ドラマを紹介するインスタのアカウントなんてもう半年ほど更新しておりません。オーノー。焦りからではなく、楽しみから再開できるようになったらと思うこの頃です。

 

止まれない苦しみ

そんな中映画と海外ドラマは結構見ていて、昨日から見始めた『ホームランド』というドラマで少し「ワオ」と思ったエピソードがり、それをきっかけに書きたくなったことがあります。

躁についてです。躁って何?え、何て読むの漢字難しくない?

・・・そうですよね。なーんちゃって・・・

実は私、ただ今軽く躁状態です。

「躁」と書いて「そう」と読みます。私の場合、身体も心も削れて朽ちるほどにくたびれているのに、何故か一向に「オン・オフ」のスイッチがオフになる気配がしないという現象が起きます。

喋る元気もないはずなのになんか多弁になってしまう。一歩も動けないくらい疲れているのに走りにいく。深夜だから寝ていたいのに家中を歩き回りながら喋りまくる。横になって休んでいようと計画していたのにどうしてか家中の掃除と片付けを始める。

躁状態になると、自分でもどうしてか分からないほどの色々な強い波がザブーンドバーンと押し寄せてきます。時にそれは止まることを知らない思いつきであり、またマリオで言うところの一定時間無敵になれるあれです。はたから見ると、テンションが高かったり、やけにエネルギッシュだったり、めっちゃ活発で勢いづいたりしている印象なのかと思います(顕著にテンションの変化が表れるいわゆる典型的な躁じゃない場合もあります)

しかしながら、どんなに自分の中では心がカチカチ山で活発化せざるを得ないとき(つまり躁状態)でも、周りからは「ああ元気が出たんだ、良かった」と安心されてしまうことがあります。

それまでに明らかに元気がなかったり死にたいなどと言ったりして「ゆきちゃんの病気は心の病気で、心の元気がなくなる病気だ」と思われている場合なおさらです。

元気になったわけではないんです。

躁のときというのは、頭が大変混乱します。自分に何が起きているのか分からないので、なんとなく恐ろしいかもという感覚もあります。大抵はそれにも気がつきません。いっぱい動いちゃうけれど何か違和感がある、と感じられるのは、自分の感覚の中の0.8%くらいです。なので99.2%はよく分からないまま衝動に振り回されてしまいます(私の場合)

テンションがただ高いのと、躁状態なのとでは、なんとなく違いがあります。

例えば「大好きなアーティストが来日公演する」と聞くと「興奮・嬉しい・楽しみ・上機嫌・陽気」などの感情が湧いて、テンションが上がり、身体がウズウズとして、ハッピーダンスをしたり前後左右に揺れたりします。ちなみにハッピーダンスや揺れは、私が上機嫌になったり、興奮したときに落ち着いていられなくてやることです。大抵ちょっとやったらフーと落ち着き、生活に支障はでません。

でも例えば「皮膚科の診察と、精神科の診察を終えて、さらに友達と会ってお茶を飲み、帰りにスーパーで買い物をして帰宅」したのに、帰ってきてから「横になりたい」と思いながらも洗い物や洗濯物や明日の準備や掃除や筋トレを全部やろうという「やるぞスイッチ」が暴走的にオンになっている。この時の感情は、大体「興奮や混乱」で「え、休みたいの?動きたいの?何が起きてるの?」という感じ。でも混乱にすら気づけないことがしばしばです。「焦り・恐怖・不安・いたたまれなさ」などがあることも多いです。これに気づくと、自分がもしかしたら本当は頑張れないのに頑張っていて、本当は休みたいのに休めなくなっているのではないだろうか、と考るようになることもあります。そうすると「動揺・不安・心配・自己卑下」などが湧いてきて、スイッチの暴走が落ち込むことがあります。そのパターンに只中で気づけるのは稀で、大抵はアドレナリンのままに過度に動き過ぎて、後から「あれは一体何が何だったんだ?」と改めて混乱したりするのです。

なんとなく違いが分かるでしょうか?

外からは元気に見えても、本当は「大丈夫」ではない。結構ヤバいかもしれない。

もし周りの人がなんとなくそんな危機感を頭の隅に置いておいてくれると、「え、どうしよう多分全然大丈夫じゃないんだけど、どうしよう、どうしよう」と自分で気づいたときSOSが出しやすい気がします。

「元気になってよかったなぁ」と思ってくれている相手に「今多分まじでヤバいんだけど、助けて」と言ったら、高確率でびっくりされてしまいます。

「この子元気そうに見えるけど、ガチで大丈夫かは分からない」と思ってくれている相手に「ごめんやっぱヤバいかも」と言うと、お互いに対処に向かいやすいです。我が家では、危機の想定が得意な父、想定が格別得意ではない母で、違いがあるなと私は感じます。父もいつもできる訳じゃないし、母も努力をしていないという訳では全くありません。大丈夫じゃないのに大丈夫と思われるのは、臨床の現場でも起こることです。危機感をもっていてほしいな、と思ったら、あらかじめそう伝えておくのも手かもしれません。これがなかなか難しいですが。

(因にもし余裕があったら、SOSを出すときに「ヤバい」以外のフレーズでも自分の危機を説明できると、相手にも理解しやすいと思います。)

 

躁になったら

私が躁のときは、「気づく」ことがクールダウンの一歩になることがあるので、今自分に何が起きているか分からないときには、今やっている行動を実況中継してみたり、「今息してるっけ?」と意識してみたり、とにかく「分かりそうなこと」を言葉にすることから始めます。

そんな対処ができないくらい心が暴走しているときは、「心が暴走してる」と感じる限りそれを言葉にします。「心が暴走しているな」

なにも感じることができないなら「何も感じられないな」

ただただ意味不明なことが自分に起きていると思ったら「今自分に意味不明なことが起きているな」

そんな風に気がついてみます。

DBTのスキルトレーニングの場合、これはマインドフルネスの練習にもなります。練習であり、実践でもあると思います。もしできそうなら、感情に名前もつけてみます。「心が暴走している。興奮。焦り。なんか不安」「何も感じられないんだな。んー、空虚?混乱?」「意味不明なことが起きている。困惑。軽くパニック」など。

感情のメカニズムのスキルなどを使って、今自分に起きていることを総合的/全体的に注目して観察して言葉にしてみるのもありだと思います。そうすることで、「一体今何が起きてるんだ!?」という疑問に、いくつかヒントが見えてきます。

めっちゃ難しく聞こえるかもしれないけれど、スキルは、手段であり、突然の戦いのときのポケモンであり、道が分からないときの地図だと思います。使い方を学びながら練習してみて、使っていくうちに出しやすくなります。もしやってみてうまくいかなかったらそれを治療者や支援者に報告して相談していいと思うし、或は、躁になって色々やってしまった時のことを、一緒に振り返ってみるのもいいと思います。

とはいえスキルなんて習ってないし知らないよ!という方もいると思います。どうして「気づく」だなんて回りくどそうなことをするの?と思うかもしれません。頓服を飲んだり、服薬を調整してみたり、できる対処は色々あると思います。

自分の状態を把握できると、なるほどだからつらいのか、とか、いやはやそりゃあつらいはずだ、と合点がつくことがあります。気づくことのメリットは、人によって違うと思いますが、私の場合:

・お医者さんに自分の状態を説明するときに役に立つ(「なんかつらいんです」→「金曜日の夜、疲れて帰ってきたのに心がザワザワザワザワして落ち着けなくて、横になろうと思ったけど何時間も運動してしまいました。土曜日から身体が鉛みたいにしんどいです」)

・にわかに落ち着く(何がなんだか分からないと、ただの躁状態に加えて混乱やパニックによる苦しさもある。自分が何をしているか、何が起きているかに気づくと、高ぶった気持ちに優しくて冷静な風が吹く感じ)

・対処しやすい(躁であることに気がつけると、どんな風に対処すればいいかを考えやすい。落ち着きたいのか、誰かに助けてほしいのか、薬を飲んで横になりたいのかー取りたい対処をその場ごとに考えやすいです)

・被害の拡大の防止(色々できちゃう!と思って衝動的に色々やりすぎると、後から取り返しのつかないことをしてしまうことがあります。でも実は疲れてるぜ、と気づいたり、やべー躁かも、とか無敵スーパーマリオ状態かもと気がつけると、それ以上の拍車をさらにかける防止になることがあります)

 

躁の説明は今はこれくらいしかできませんが、本も色々出ているし、当事者の人が描いた漫画などもあります。私の説明はあくまで私の体験の説明なので、みんなにあてはまるわけじゃありません。双極性障害によく似ているからしばらくそれの治療をしたけれどガッツリそれではなさそうなのです。

自分が躁だ!と思っても自己判断(冷静に、正しく、専門的な知識や客観性を持って)することはかなり難しいだろうし、ちょっぴり危険だとも思うので、もしかしてそうなのかな、とお思いになったら(或は助けが必要な気がする場合など)治療者の立場にいる人に実際に会って相談してみるのもいいかもしれません。相手もスーパー正確診断マシーンではないから、相手の言ったことが必ずしも絶対ではないし、もしかしたら振り回されちゃうぜと思ったらそんな自分も許してみてください。私にとってどんな診断をされるかが大事なんだな、とか、私は絶対こうだ!と思っていたものに反対されるのはいい気分じゃないんだな、とか、診断名は絶対じゃないとか分かってるよしつこく言うなよコノヤロウって思っちゃうんだな私、とか、そんな風に自分の状態をとりあえず認めてあげてみてください。私はそう思ってきました、苦笑(認めるどころか自責しちゃうぜ)

『ホームランド』のことが書きたかったのに、自分の躁について説明していたらいつの間にか4000字になっちゃったので今、オーマイガーと思っています。

今日のこの躁っぽいラッシュに気がついたきっかけはちなみに、ハッピーじゃないのに突然ハッピーダンスをしたことと、『ホームランド』で主人公が躁状態になったのを見たからでした。さて、シリーズにするつもりじゃなかったけれど、その『ホームランド』の主人公について私が書きたくなったことは、次の記事にてお読みいただこうと思います。

この記事については落ち着きを取り戻してからちょくちょく手直しや色味・画像が入ると思います。拙い状態ですがとりあえずアップしました。

読んでくれてありがとうございます。

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