意外とイメージしづらい?
身体の病気で誰かが入院した場合、検査のため、手術のため、集中治療のためなど理由がはっきりしている事が多いのではないでしょうか。
それもあり周りの人にも、本人がどうして入院していて、何を目的としていて、どれくらい深刻なのかなどが理解しやすいように私は感じます。
一方で、精神科の病院に入院するというのはどういうイメージなのでしょうか。入院した後、何をするのか。どんなところなのか。
当事者の私としては、自分が入院したという事が周りにどんな印象を与えるのだろう?という疑問もあります。
今回は、特に体験談というわけではなく、精神科に入院したってどういうこと?というのを友達や遠くに住んでいる家族などに説明する気持ちで書いてみたいと思います。
入院生活もヘブンじゃない
他のどの病気でもそうである如く、心の病気で入院をした、ということは「何かしらの理由で入院する必要があった」ということになります。当たり前かもしれませんが、何もなくてただ入院するということはあまりないと思うのです。
入院に至った理由や、入院の目的は病気や患者さんの状態により様々です。中には心の病気が原因で身体にも無視できないような影響がでていることもしばしばあります。そういう場合は内科のケアもあります。
また精神科の病棟ごとに、専門的な治療をしている病気が違う事もあります。認知症治療の病棟、児童(小児)精神科病棟、急性期病棟、開放病棟・閉鎖病棟など、どんな風に分かれているかやそもそも分けてあるかは病院によります。
閉鎖病棟がどういうところかと言うと、最も大きな特徴は外に出られないようになっていることだと思います。外への出入りができる扉は鍵がしてあり、私のいた病棟は窓も鍵がしてありました。怖いように聞こえてしまうかもしれませんが、基本的に、こうした閉鎖的な環境は「病気の人を閉じ込める」ために作られたわけでは決してなく「色々なことから患者さんを守る」ためにある、と思ってください。例えば、あくまで一例ですが私のように何度も何度も自殺をはかる人は、機会と衝動があれば何をしてでも死のうとする傾向にあります。なので外だと物へのアクセスや場所へのアクセスが自由である分、それが「自由」ではなく「危険」になってしまうこともあります。
閉鎖病棟は制限がとても厳しい分、かなり不自由はしますが、その分「危険」へのアクセスは減ります。ゼロになるわけではありません。だから患者さんに目を配り、助け、ゆくゆくは自分自身を守ることができるようにサポートしてくれる、ナースや補助さんなどのスタッフがいてくれます。
閉鎖的なところにいてもつらさがなくなることはありません。入院する前に感じていた苦しみがドロンといなくなるわけではありません。なので入院していても死にたくなったり、衝動をコントロールできなかったり、パターンをなかなか変えられないこともあります。色々な事に制限があるに加えて時間の流れもゆっくりなので、むしろ自分の苦しみと向き合うことが前よりも避けられないようになることもあります。それが最初はとても苦しいですが、よくなりたい気持ちに気づかせてもらったり、できなかった事のうちの1つでもできるようになったり、ひとりぼっちで闘わなくても助けてもらえたりすることで、その苦しみとの向き合いが全くの無駄に終わってしまうことは殆どないと私は思うのです。
又、逆に入院前にいた環境から離れて過ごすことで、むしろ休めたり、安心できたり、改善できたりする人もいます。入院中は生活や健康状態も見てもらいながら、リズムを正したり食生活や睡眠状態、体温・血圧、排便状態なども健康的状態に近づけるようにナースやお医者さんが見てくれます。
日中は所在確認(いるかどうかのチェック)や、夜は病室に定期的に見回りにくることもあります。様子どうかな、いるかな、だいじょぶかな、といった具合で怖いものではありません。
閉鎖病棟によっては持ち物に制限があることもあります。携帯やカメラ、刃物、ひも付きの靴や衣服、食べ物、ジュース、その他PC・iPad・DVDプレイヤーなど電子機器諸々、薬などは制限がかかることが多いようです。ヨガマットやストレッチバンドがダメでショックだったこともあります。意外な物がだめで無念な一方、しょうがないから久しぶりに折り紙してみたり、見る物ないから毎日ニュースや新聞を見てやたらニュースに詳しくなったりと、入院中だからできる習慣や趣味もあります。※閉鎖病棟でもお菓子の持ち込みが大丈夫な病棟もあります。
こんな具合で、入院にも様々なメリットとデメリットがあって、一概に良いとも苦しいとも言えないのが私の理解です。私の場合、特に夏場は、シャワーが週に3回しか入れないのでアトピーが痒くてつらかったり、9時消灯だからサッカーの試合やアメトークが見れなくて残念だったり、どんなに過食の衝動があっても一日3回の決まった時間しか食事がとれなかったり、地味につらいことがいくつかありました。でもナースに話を聞いてもらえたり、ラジオ体操に参加したり、食べる量や栄養やカロリーを管理しやすかったり(衝動はともかく)、みんなでクロスワードしたりと、小さなことでも好いなと思えることはありました。
病棟は色々な人が入院しており、中には「こんな人と同じ病棟にいたくないよ〜」という人とも生活をしなければいけないこともあると思います。個室は高いし、相部屋の人が合わないこともあります。生活のしづらさはナースに言ったり、意見箱に出したり、患者さん同士のミーティングの場で言ってみたり、ワーカーさんに相談することもできますが、もしできるならばできるだけ距離を取ったり工夫をして、自分の治療と生活に集中するしかないこともあります。
入院も結構大変なのです。
あまり知られていない入院と法律の厳しい関係
実は精神科の入院状態には大きく分けて3つの法律的段階があります。
任意入院:自分で治療を同意して、入院している状態。希望すれば自分で退院を申し出ることができる。
医療保護入院:家族や保護者などが同意して、本人を入院させている状態。勝手に退院できない。ちょっと厳しい。
措置入院:知事、市長などの権限によって強制的に入院が必要とされている状態。勝手に退院できない。一番厳しい。
イメージしづらいかもしれませんが、精神科の入院はこんな風に種類があって、自分では退院したくてもできない人もいたり、出たいからと言って外に出られなかったり、病気って自分では思わないのに入院させられたり、という本人にしてみれば「何でよー!出してよー!」と苦しむ面があったりもするわけです。
厳しく聞こえるし快適なシステムではないけれど、これもまた「閉じ込めるため」ではなく「患者さん及び周りの人が傷つかないように守るため」というイメージだと私は思っています。法律のことは難しくて私もよく分からないですが・・・。
ただ、こういったことはワーカーさんに聞くことができるので質問があったらぜひ入院している本人の担当ワーカーに当たってみてください。
それでも入院、どうする入院
そんなに厳しそうで、大変そうで、なんのために入院するの?と思われるかもしれません。先に入院にもメリットとデメリットがあると述べましたが、それもやはり人によって十人十色です。
不安発作・パニック発作がいつ起きるか分からないから医療従事者が常にいる環境にいたい。うつで動けないから休養と回復のため。自分だと適切な食事が摂れないから管理された環境でゆっくり整えたい。感情調節ができず暴れてしまうから刺激の少ない環境で休みたい。自分だと自分を守れないから保護が必要。依存症の治療を集中的にしたい。——実のところ、入院目的を最初の入院時診察で書かれるときは大雑把に「休養」とだけ書かれるなどのこともあります。自分がどうして入院しており、この入院生活で自分は何を得たいのか・目指したいのかということは、入院してしばらくしてから追いついてくるなんてこともあるのです。自分で望んで入院していない場合は尚更だと思います。
「落ち着いた状態」で入院することはそもそも珍しいことだから、2、3日やそこらで「よし、摂食障害を治そう」「合った薬を見つけよう」「元気になろう」などと口にはしてみても、それがとても難しいことだと肌で感じざるを得ないし、そもそも自分がどうなりたいかを考えられる余裕さえないこともあります。だから入院前も精一杯な状態でなんとか生きてきて、入院してからも生活に精一杯なところ「どうして入院したの?」と診察やら友達との面会やらで聞かれても、自分でもよく分からないこともあります。事実「入院が必要だったから」ということを自分で分かるだけでも大きな一歩なのです。具体的に入院中に自分がどうすればいいのかは、ゆっくり時間をかけて考えていいことだと思います。簡単には分からないことだし、分かってから達成できるまでもきっと楽勝じゃないから、焦らずできることからでいいと思います。
入院したからと言って完治するわけではありません。
焦る気持ちを認めつつ、その日にできることを無理なく、一度に一つずつできるといいと思います。それは退院してからも同じです。超むずいけど。
一回の入院で一度良くなっても、再入院をすることもあります。本人にとっては「負けた気持ち」になったり、つらかったりすることです。前にトラウマの記事で書かせてもらいましたが、私はナースに「戻ってきたことは後退じゃないよ。次のステージに進むための踏み台だと思ってね」と言われ、とても励まされたことがあります。
入院をしてもそっから先、どうしたら&何が、一番効果的かを賢く考える必要がどうしてもあります。退院するタイミングや、入院生活で得たいことなど、感情のままに行動してもor理屈だけで考えても、何かが噛み合ない感覚。自分に何が一番いいのか、今は何ができるのかなどを、できるだけバランスよく考えたいところですが、これもまた難しい。でももしこれができると、入院生活でのデメリットを補いつつメリットを活かせるかもしれません。
入院はあくまで起きていることの一部
ここまで読んでいただけると「入院したよ」と聞いて「へーそうなんだ、何か大変なんだね」よりもう少し具体的にイメージしやすいかな、と思うのですが、実際のところ本人にはここに私が書いていること以上のことが起きているのが現実です。
繰り返すようですが、何も問題がなくて入院することは恐らくありません。
そしてもしその問題を引き起こしたのが本人ではないとしても、それを解決しなければいけないのは本人です。それはとても大変なことだし、つらいことです。
もし「入院したよ」と聞いたら、最も寛容的な方法で、その大変さを労ってみてもいいかもしれません。間違っても「頑張れ!」とは言わないであげてください。
長くなりましたが読んでくれて有り難うございます。なんとなく知っていただけたでしょうか?