思ったより長くなってしまったので第2弾を書いているゆきこです。
前回はルームメイトの言葉と、モアナの話をしました。
今回は、それを受けてゆきこかこの場を借りて、「ゆきこが追いたい夢」について少しだけ、シェアしてみようと思います。
でも、インターネットって、広いよね、、、
「みんなにシェア!」とか思うと、ちょっとゆきこはビビリなので、どう書いたらいいのか分からなくなります。なっています。
なので、そうだ、そのルームメイトや、あとずーっと病院でお世話になっているスタッフや、同じ病気の大切な友達に書くような気持ちで、書いてみようと思います。
なんかやっぱアンビシャス
実は「ガールビーイングアンビシャス」で、少し夢について触れています。
予想以上に、この宣伝も何もしていないブログの中でも読んでくれた人が多い記事の一つとなっています。みんな、読んでくれてありがとう!
その記事としっかりはつながらないかもしれないけれど、
気持ちを新たに、ちょっとこの記事でちょこっっっとだけ夢について書きますね。
軌跡を少し振り返るとやっぱ「これでも頑張ったほうなんです」
実は、就労支援を終えてから、6ヶ月間ほど私は個人経営の飲食店で働いておりました。就労支援やOTでのリハビリを終えてからの仕事復帰はこれが初めてで、その分たくさんのチャレンジがありました。その中でも一生懸命に理解しようとしてくれた職場で、6ヶ月間、健常者と同じように仕事をやったのは、とても勉強になったと同時に、難しさがありました。いつかこのことも記事に書くかも分かりません。
年末を最後に、心残りありつつも限界だった自分はそこを辞めて、英語の先生の仕事を自分で始めます。
そして高校卒業を挟んで、今に至る、というわけです。
なんでここまで頑張れているんでしょうか。
いやー、自分でも分からないんです。
もしかしたら、これくらい頑張れて普通なのかもしれないのですが、
「朝起きて、自分の身の回りのことをして、生活をし、歩き、できれば仕事をし、食事もし、夜寝る」
この、ごく当たり前のことが、私や、心の病気を持っている人には、非常に難しくなります。
これができるようになれば、奇跡かもしれない。そういう話を入院中に同室の人としたこともありました。
だから、結構頑張っている。
もちろん、お金が必要だからというのもあります。
でもきっと、ゆきこの場合それだけじゃなくて、
「たどり着きたいところ」
というのがあるようなのです。
それが、いわゆる夢、なのかもしれない。
こうして生まれた、夢の話
今回卒業をした高校の、何回目かのスクーリングで、食堂であるときルームメイトの女の子とおしゃべりをしていました。
その子はバレエダンサーの子で、これからカンパニーに入るかとか、そういう話をしてくれていました。
話す流れで、自分も将来の夢について話し始めるゆきこ。
「やりたいなーということはあるんだけど、まだ曖昧な部分がいっぱいあるんだ。」
うんうん、と聞き上手なルームメイト。
「例えば、家族がさ、統合失調症に突然なってしまったとするとさ、きっと家族からしたら、どうしてあげたらいいのか、どう助けたら良いのか、どうにかしてあげたいのに、分からない!っていう状況が起こると思うんだ。本人もね、本人は特に、病気になっちゃった当人だけど、当人ながらに、当人だからこそ、自分に何が起こってて、とっっっても苦しいけど、どうしたらいいか分からなくて、迷惑はかけたくないけど、多分助けが必要で、でも誰に、どう助けを求めたらいいか分からない。という状況になってしまうことがあるんだよね。というのもさ、私が最初病気になった時、家族と、私がそんな感じで、病院に足を運ぶまでにもだいぶ大変で、なんか、なんか、、、こう、、、両者をつないでくれるような、通訳のような、橋渡ししてくれるような、そんな人がいたら良かったなーなんて思うくらいなんだよ。」
うんうん、と聞き上手なルームメイト。
「ハッ」
ゆきこ、気がつきます。
「Kちゃん、私、これがやりたい!これだ!橋渡し!これがやりたい!」
おお、すごいね、と、聞き上手なKちゃんが応えます。
月よりも遠い夢と、そこへの階段のスタート
そんな食堂でのやりとりをきっかけに、この、今の夢の原型の第一歩がスタートします。
そこからしばらくはやっぱり病気が悪くなって入退院があったりと大変で、夢はそのままだけど、ずっと夢のままでした。
大学に行きたい願望があった自分は、その期間にも考え事をします。
「きっと大学は、なにか学びたいことを究めるためだけの場所じゃない。もしそんなだったら、ゆき学びたいことめっちゃいっぱいあるもん。ゆきが大学行ったら、その意味って一体何だろう。お金だってめっちゃかかるし。」
そしてある日
「あ、もしかして大学って何かの分野において自分の研究したいことを学んだり、研究したりする場なのかもしれない。だとしたら、ゆきの研究したいことは、DBTみたいに体系化された、どんな人でもトレーニングを受ければスキルとしてそれを得られるような、心の病気についての助ける側と助けられる側が今よりもスムーズに助け合える橋を造る何かを、作ることだ」
という、ちょっと分かりにくい、答えのような、曖昧なような、何かにたどり着きます。
簡単に言い直すと、こうです。
心の病気になると、家族だけじゃなくて本人も、とっても混乱します。ましてや、症状によっては家族や友達、職場や学校に、ある程度の迷惑がかかってしまうような状況も起こりえます。すると、本人としてはできるだけもう迷惑はかけたくないのと、できればどうにかしたいけど、どうしたらいいか分からないし、苦しいし、ネットの情報ってなんだか散らかってて分かりづらいから、もうどこに助けを求めたら良いのか、いやそもそも助けを求めた方がいいのか、助けってどうやって求めたらいいのか、分からないことがあります。少なくとも私はそうでした。
そして、輪をかけるように、ようやく求めた助けが、うまくいかずに終わるという体験をすることがあります。
私の場合、家族に対しても、友人にも、学校にも、病院でさえも、そういう体験が多くありました。こう、分かってもらえないとか、苦しくなることを言われるだけで終わっちゃうとか、やってもらったことがかえって症状を悪化させちゃうとか。
一つは、私が助けの求め方がいまいち分からなくて、うまくできなかったことと、
もう一つは、結構必死だったから、求められた相手も、結構もう手に負えない状態で助けを求められてしまうので、効果的な対応をしきれない、ということと、色々な理由があったように思います。
そして、周りの人間にもやはり、混乱があります。
家族だったら、目の前の大切な人に対して、今までの大変だった時と同じように接してみても、うまくいかなかったり、そもそも一体何がどうなっているのか分からなかったり、助けを求められたときにどう対応してあげたら良いのか分からなかったり、言葉選びや、声かけが難しかったり、色々と大変なことがあります。
家族以外のまわりの人もそうなのかとゆきこは思います。
するとなにが起こるかというと、
だんだんと、意図せずとも、助けてほしい側と、助けてあげたい側に、ギャップ(溝)や、壁ができてしまうことがあるのです。
そうすると助けを求めるのはもっと難しくなっちゃうし、
助ける側ももうどうしたらいいのか、どんどん困ってしまうことが、あるのです。
病院の関与できるエリア、カウンセラーのできること、得られる福祉支援など、
いわゆる「治療機関」「支援者」「専門機関」にはあらゆる専門知識を持ったエキスパートの人たちがいますが、
家族、友達、恋人、教師、先輩後輩、同僚、上司、部下、ご近所さんなど、
いわゆる「身近にいる人たち」には、必ずしもその「専門知識」を持っているとは限らないことが多いと考えられます。
けれど、病院の人には踏み込めない支援を、「家族」という立場だからできることや、
逆に家族にはできないけれど病院の治療者だからできる助けも、あります。
そういう、立場によって違う助けを上手に活用していくために、当人とそういう「場」「人」を「つなげてくれる」人がいたら、いいのになーとか、
家族間、友人間でできちゃったギャップも、誰かがお互いの理解のための仲介人になって、再び家族や友人としての関係を取り戻してあげるお手伝いをしてくれる人がいたら、助かるなーなど、
この、「つなぐ」を、ある程度体系化して、スキルトレーニングのプログラムやグループ、サービスやテキストを作れないかな?
データを集めたり、心理学と科学(脳神経科学や精神病理学など)を全体論的に見たりして、どうにかちょっとしたワーク、マニュアルのような、DBT(弁証法的行動療法)みたいなものが、作れないかな?
そんなことを、大学で、研究させてもらえるところ、勉強させてもらえるところって、あるのかな?
ゆきこ、学びたいことは色んなジャンルぴょんぴょんまたいであるけれど、研究したいことと言ったらこんなことなんだ、と、これが頑張って簡単に言い換えたバージョンになります。え、分かりにくい?ですよね、まだ、自分でもきっと簡潔になっていないんです。許して〜!
ちなみにこれに似たことを、精神保健福祉士さん始めワーカーさんや、病院の人、カウンセラーの人が時々担ってくれることがあります。これはリアルです。だから、もし必要としていたら聞くだけ聞いてみて、ぜひ頼ってほしいな、と思います。もし頼んだ相手が「それは自分の役割外かもしれません」と断ることがあるとしても、助けを得られる場は必ずあるので、どうかあきらめないでほしいなーとゆきこは思っています。
そう、でもこの「あったらいいな」を、将来、ちゃんとした職業として、立ち上げたいというのがゆきこの「大きな夢」です。
コンサルタントなのか、カウンセラーなのか、呼び名がなんなのか、必要な資格は何かあるのか、正直今はまだ分からないのです。
けれどその「大きな夢」や、「大学で研究をしたいこと」が、ゆきこの、「追いたい夢」の先にあるゴール。「たどり着きたいところ」です。もし生きている間にたどり着けなくても、パイオニアとして始めて、50年後100年後にでも誰かが叶えてくれたら、それでいいんです。
そのために始めたい「事業」、いわゆるビジネスが、いくつかある、というのが、就労支援を受け始める少し前に思い始めた「アンビション」です。
それについてはまだ書かないでおくけれど、なにせ長い記事になってしまったので、ここらへんで今回は記事の幕を閉じようかと思います。
(急だわね)
でも本当に、こんな夢を持ったことや、それがあちこちに引力を生んでいること、そしてうつべえさんがやってきている中「夢を追ってね」と言ってくれたルームメイトのことを、こうやって文字に起こせたことは、ちょっと嬉しい(ちょいと恥ずかしさもあるけれど)ことです。そしてそれをこうして読んでくれているみなさんにも、感謝の気持ちがあります。
この夢を持てたのは、ナースのみんなが私をすっごく助けてくれて、治療に前向きにしてくれたことが大きく関わっているし、
入院した時から今日に至るまで何年もずーっっっと助けになってくれているOTスタッフのみんなも大きく関わっているし、
まとまりのないゆきこの話を、心から興味を持って聞いてくれた友達のみんな、
どんな夢も、どんな道を選択するにしても、選択してきたこと一つ一つを心から応援してきてくれた両親、(本当に)
それにヘンテコをぶちまけてもさらりと聞いて、まるでヘンテコでないかのように受け入れてくれる主治医、
いろんな状況で頑張っている病院の仲間のみんな、
サポートセンターのみんな、
そして今回卒業ができた高校の、先生みんな、やしまんちゅのみんな、本当に、感謝しています。
こんなに感謝したら、夢がここで終わってしまいそうなので、このへんにさせてください。(そんなことあるかい)
でもそう、今回で卒業して、高校生を卒業するのに全部で8年もかかっちゃったけど、これはこれで、大きな一歩だったと思います。
モアナや、ルームメイトが励ましてくれたことを、ここでもう一度ありがとうして、終わりたいと思います。
近いうち「どうして8年もかかっちゃったの」という記事を書くかもしれません。あんまり期待しないでね。うつべえさんが来ているので、笑