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執筆者の写真Yukiko Yoshida

ドウシヨウ!のパニックと天才医師



Eating the red berries // 赤い実を食べる

『Dr. House』という海外ドラマがあります。人付き合いが大嫌いだけれど、誰にも分からない病気の正体を解くのがピカイチなお医者さんが主人公のドラマです。

あるエピソード(シーズン3の4話目)に重い自閉症の男の子が出てきました。彼は自分で言葉を交わしたり、目を合わせたりすることができません。それ以外にも色々、普通の人から見ると「変わったところ」「理解できないところ」がいっぱいあり、コミュニケーションがうまくできません。

その男の子が突然、いつもの「変わった」感じの領域をこえて胸の辺りを掻きながら叫びだします。両親はハウスのもとへ連れて行きます。

当然かもしれませんが、医師が患者さんに何かをするときに例えば注射なら「注射しますね。少しチクッとしますよ。」と言えば、相手は大抵納得した様子で腕を出します。しかしこのアダム少年はちょっと訳が違いました。「これをしますよ。こうしてくださいね。」「今はゲームをやめてね。」などと医師から言われても、されるがままにはされません。検査や処置がスムーズにできない医師たちは苦労します。

するとハウスがひょこっと舵を横から奪って、自ら患者の受ける処置を自分にしてみせます。周りは「一体何をしてるのハウス!」と驚くのですが、ハウスは "Eating the red berries. (赤い実を食べているんだ)" と答えます。処置、すなわち吸引式の麻酔をマスクから吸うというものを、ハウスが自分にやってみせて、ホラ大丈夫じゃないかと示すと、アダム少年もガードを下ろして処置を受けます。

誰が懸命に説得してもうまくいかなかったので目を点にしている周りに、ハウスは言います。「サルさ。サルというのは赤い実があっても、別のサルがそれを食べているのを確認しないと警戒するものだ。サル見る、サルやってみる。たったそれだけのことだ。」

両親はハウスが、自分の息子と心を通じ合わせていくように見えて目からウロコを落とします。自分たちはさんざん苦労しても息子と分かり合えないのに、この人は「サル見る、サルやってみる」と言って治療を受けさせていきます。それまでみんなが我武者らに励んでもお互いに苦労したばかりだというのに。(なら最初からハウスがやれって思うでしょ。ところがハウスは患者と直接関わるのが大嫌い。)

 

Monkey see, monkey do // サル見る、サルやってみる

この「サル見る、サルやってみる」の原理を私は馬鹿にできないと思いました。もともと私自身が広汎性発達障害という(自閉症のなかまの一つで、アダム少年と違って言葉を交わすことはできる)のがあって合点がいったというのももちろん考えられます。

しかし、最近私は調子が悪く、頭の中ばっかりが火がついたように「躁」になったと思えば、いろんなものが悪いもの・怖いものに見えて拒絶反応や攻撃態勢になる「過覚醒」のような状態が続いています。そこに発達障害的なこころの「ギュー」(こだわりの強さや強迫的考え、パニック)がバージョンアップして加わって、「行動が選べない」という苦労があります。

朝起きて、いつもはルーティーン(流れ)がありますが、どうしてかそれがその通りにできません。

起きた瞬間、頭が迷子になってしまいます。

朝ご飯を前にして、食べたらいいのか、どうしたらいいのかが、分かりません。大パニックです。

お昼までご飯を「我慢する」と、過食衝動が抑えられません。

(我慢、ではなく「朝ご飯の次はお昼ご飯、というものだ」と受け入れられたら大丈夫)

一日中、5秒ごとに「よしあれをしよう」と思いつくのに、そのスピードや展開が早すぎるのと、自分の身体も心もそれを遂行する元気がないので「できないよー」と苦しくなってしまい、ぐるぐると「どうしたらいいか分からない地獄」にはまっていってしまうのです。

その地獄に深くはまっていると、例えば「お白湯をちょっと飲んでみようよ」と両親に提案されても、それをしていいのかが分からなくなります。

浅めの地獄なら「うん、それならできそうだな」と思えるのですが、「お白湯!?なんで!?」とパニクって、しまいには「お白湯ってどうやって飲むんだ!」と分からなくなってしまうのです。

これは、「深呼吸してみよう」でも起きます。どうやって息を吸って吐いたらいいのか、そして、そもそもなんで深呼吸をしないといけないのか、分からなくなるのです。

もしここで「サル見る、サルやってみる」の原理を適応すると、お白湯を飲むにしろ深呼吸するにしろ、パニックして困っている私のそばで勝手にやってみてくれればいいのです、まぁ、例えばそれが効果的だった場合ですが。

ずずず、とお湯をすすって、ふぅ、と一息つく。それを私が見たら「サル見る」。やれるかどうかは分からないけれど、それで警戒が解けたら「やってみてもいいか」と思えるかもしれません。それでできたなら「サルやってみた」です。

そんなことを、今朝は取り乱しながらも考えていました。サル見る、サルやってみる。これならできるかも、なんて時がある。

ランダムではありますが、そのまんま書いてみたのでした。

 

おわりに

追記ですが、「サル見る、サルやってみる」はあくまでハウスの言葉の引用です。自閉症や難しさのある人などを「サル」と呼んでいるわけではありません。もしご気分が悪くなってしまった人がいたらごめんなさい。そんなこんなで、今回はショートコラムとしてハウスから得たヒントを取り上げてみました。読んでくれてありがとう。


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