top of page
執筆者の写真Yukiko Yoshida

トラウマまるごとパッケージ④


ひとりぼっちの戦争


前回の記事で「本人の本当の声を聞いていますか」と書きましたが、

本人の本当の声、というのは現場で働いてるプロの人でも聞き分けるのが難しいことがあるようです。

例えば、私の場合こんなケースがあります。

「平気」が実は→「自分でなんとかしなきゃ」

「大丈夫」が実は→「超つらいけど何て言ったらいいか分かんない」

「頑張る」が実は→「努力が足りないんだ自分のクズクズクズ」

「頑張んなきゃ」が実は→「まわりが元気な強い自分を期待してる。応えなきゃ」「誰か私を止めて」

「うるさいほっといて」が実は→「だめだ私はもう助からない」「誰か助けて」

「どうせ言っても分かんないよ」が実は→「完璧に言わなきゃ伝わらない馬鹿にされる」「誰か聞いて理解して」

聞き分けろ、と言っているのではなくて、こんな風に言っていることの陰に「心の声」が隠されていることもあるんです、というのをお伝えしたかったのです。特にトラウマのフラッシュバックが起きているときなんかは、「近づかないで!」「やめて!」「殺すぞ!」など助ける側がお手上げしたくなるような言葉を浴びせられることもあるかもしれません。でも私の場合は、「誰か助けを呼んできて」「誰か私を落ち着かせて」と心の中で叫ぶこともあります。本当に近づいてほしくないときもあるけれど、それは脳の神経伝達物質の次元ですべてのものや人に拒絶反応を起こしているときなどだと思います。

橋のこちら側の状況を知れば知るほどに、「えーどうしたらいいかわからないよ」とぐうの音をあげたくもなるかもしれません。

ちょっと、映画の『オデッセイ』みたいな感じかも。

(火星にひとりぼっち取り残されたマーク・ワトニーと、地球でそれを見ているNASAの関係)

とりあえず独りで闘っているのではないのだよ、というのを言葉や行動で示してみてほしいです。

助けてあげたい相手がどんな地獄を闘っているのか、書籍や、別の当事者の話から、知ろうとするのも手だと思います。

今は映画、漫画、書籍、音楽、ダンス、ブログ...etc 色々な方法で知ることができます。

(そういうのも紹介できたらいいなあ)

もとより、姿勢(本人の本音を聞いてあげられる)も大切かもしれません。

「自分には時間がない」「自分には話を聞くセンスがない」などと諦めてしまわないでください。

1対1で話す、散歩しながら話す、温かいお茶を飲みながら話す、トランプや折り紙をしながら話す、電話越しに話す、メールやLINEで話す、手紙やメモやポストイットでやりとりするなど、本人のやり易いやり方でコミュニケーションをとってあげると、話しづらさの和らげの工夫になるかもしれません。

何か思いつくものはあるでしょうか。

なくても、ヤケになって探そうとせず、本人の調子を観察しながらで良いと思います。

押しつけられると苦しいです。

 

覚悟

もし助けたい相手がいたとして、今までのその人がどんな人だったのかは分からないけれど、「爆弾」を負わなければいけなくなってしまった今、その人に今まで通りを期待して押し付けるのは難しいと思います。

私は友達や知り合いに会う度に必ず「元気そうで良かった」と言われますが、それを2年耐えたあげく結局入院するくらいまで辛くなりました。元気になってくれと期待されるのもつらいです。あまりに「元気なゆきちゃん」が染み付いてたのだろうか、と苦しくなります。

リカバリーについてはまた別の記事を書きたいですが、「もとの元気だったあの人」に「直る」のがリカバリーとは限らないのです。回復を願ったり信じたりしてくれるのは嬉しいけれど、リカバーするのは本人です。周りが決めたリカバリーの通りに本人をもっていこうとすると、大抵引っ張ったゴムがパチンと戻るように、うまくいかなくなったときがとっても痛いです。

かといってリカバリーを信じて支えてくれる人がいないのも辛いです。

もしこれからも本人と関わっていくのなら、諦めずに、その人が助かるための多面的可能性を探してくれるとありがたいです。無理やりじゃなく。

その人から傷つけられるかもしれないことも、自分がその人を傷つけてしまうことも、ありえます。

関わっていくのなら、覚悟は必要かもしれません。

(「覚悟=体当たり」ではないので、覚悟したからといって全速力で橋を渡ってこられるとちょっと恐いです)

入院中に、テレビで北星学園余市高等学校の特集を見たときに、校長先生のインタビューが印象に残りました。

今は閉校の危機にありますが、自分の高校とすごく似ていてなんだか他人事にできない学校です。

そこは寮制で、色々な問題や背景を持った子たちが通っているようです。まじで、色んな。

そういう環境で、まとまった人数の子たちが3年間過ごすのに、校長先生が「ほっとかない」を心持ちにしていると語っていました。メモったわけではないので正しく引用できないのですが、「人の心に土足であがりこんじゃいけない」と言ってほっといたら、3年間関わっていけない。ほっといたら、助けられない。みたいなことを言っていました。(曖昧で申し訳ない・・・。)

その校長先生の覚悟は、入院中の自分にはどこか潔く感じました。

(↑高校名をクリックするとHPにいけます)

 

人質たち

トラウマの丸ごとパッケージを時限爆弾のごとく抱えているのは、しつこいようですが、本人が好きで選んだわけではありません。言うならば、人質、みたいな感じです。

それは起こってしまった現実です。逃げても、否定しても、怒っても、抗っても、それは現実としてそこに有り続けます。

人質は自分自身だけではありません。

丸ごとパックであるからこそ本当のトラウマの原因とは関係のないはずのものが、数多く人質に含まれています。その中には生活で必要なもの、かつで好きだったもの、必ず目についたり耳に入ってきたりするものなどが含まれています。爆弾をしかけた犯人(トラウマの核)と、犯人がまるごとかっさらってった人質(丸ごとパックでトラウマになったもの)の数は増えれば増えるほど生きづらさも増します。

どれだけつらいか想像してもらえるでしょうか。

想像したののはるか、はるかつらい地獄が、橋のこちら側では起こっていると思います。

 

助けてほしい

爆弾を抱える側として、友達からも距離を置かれ、精神科医にもどうせ他人事とドーンと壁を置かれ、誰からも理解されず、心の中でひとりで泣きながら恐怖や不安に苦しむことが度々あります。

それはとんでもなくつらい、孤独な闘いです。

「わたしには、助けが必要だ。」

本人がそう気づけることは大きな一歩だと思います。

なのにいざフと足を止め勇気をもって「あの、すいません」を人に助けを呼び求めると一発でうまく助けてもらえないこともあります。

踏み込んだ精神科の医者が、クソだったとかね笑(ドクターのみなさんすみません)でも 悲しいことに、よくあることなんです。

頑張り屋さんな人ほど「助けて」が言えないこともあります。「助けて」を言われた人は、それを軽んじてほしくないです。前の記事で書いたように助ける側が「賢く考える」必要もあります。友達としてできること、家族としてできること、恋人としてできること、ピア(当事者同士)としてできること、治療者としてできること、同僚や上司としてできること、それぞれの立場で「できること」は必ずあります。専門の知識が無い状態で無理に「治療」はしようとしないでいいと思います。家族なら家事を手伝ってあげたり、家で過ごす環境を心地よくすることができるし、友達なら「私はあなたを忘れてないよ」と伝えてあげることが力になることもあります。自分の立場だからこそできる「役割」がそれぞれにあります。私がそれを全部定義提唱することはできないけれど、ぜひ諦めないで探してみてください。

「早く良くなるといいね」「仕事復帰待ってるよ!」「しっかりしなね」など、本人が焦ってしまうような言葉かけには気をつけてみてください。うまく伝えられないけれど、ただでさえ切羽詰まって焦っているのにさらに風を吹かれると「追い風」のつもりが「向かい風」になってしまいかねないのです。

トラウマ体験による精神状態の大きな不安定さは、急かしたり放っておいたりすることでは良くなりません。必要な助けや、適切な治療を受けながら、少しずつPTSDによる難しさが減っていき、自分を苦しめている原因と平和協定が結べるようになればいいなと思います。専門的なことは何も言えないけれど、私の望んでいる回復はそんな感じです。

助けてほしい。—地獄の苦しみの中、ひとりぼっちの闘いの中で、歯を食いしばりならそれを願う。

爆弾を抱えたまま生きなくてもよくなりたい。普通の日常生活が送れればいい。それだけでも奇跡だ。もうこんな風に振り回されるのは疲れた。—そんな風に毎日思いながら、なんとか一日をやりきるのはとてもつらいです。でもその地獄は永遠の地獄でも、罰でもないと思うのです。良くなりたいという気持ちをもてることは重大なことです。もしかしたら助けを求めても、最初からはうまくいかないかもしれません。プロセスで苦しい思いをすることもあるかもしれません。周りの環境が支援的・協力的ではないかもしれません。何人ドクターにあっても、どんな薬や治療法を試してもうまくいっている気がしないこともあるかもしれません。あとどれくらいで良くなるのかを考えて、気が遠くなることもあるかもしれません。

でも「よくなりたい気持ち」「助けが必要だという気持ち」を本当に大事に汲み取って、良くなるのを真剣に協力してくれる人が必ずいます。完璧な治療者はいないかもしれないけれど、自分に合う治療者は必ずいます。夢みたいな薬はないかもしれないけれど、自分にあった治療法が必ずあります。

DBTにスキルトレーニングの前提、というのがあって、引用するとそれの4番目に「私たちは問題を自分で引き起こしたわけではないかもしれないが、自分で解決しなければなりません」とあります。(前提についてちゃんと書きたいけど今はおいておきます)

 

おわりに

今私が言えるのはこれくらいです。体験談から始まり、長くて少し中途半端なシリーズとしてポコポコ続きましたが、トラウマまるごとパッケージの記事はこれで一旦終わりたいと思います。

ゆきこ説として、トラウマは丸ごとパックと提唱してきました。トラウマに関して色々な表現をしてきましたが、あくまでゆきこスタンダードです。しっくりこない人もいるかもしれませんが、あくまで一個人の表現パターンだと思って了承ください>< トラウマに対する理解は、人それぞれだと思います。自身にとっての正しい理解と、良くなる鍵が見つかればいいなと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

(お願い:記事や文章をコピペしたり無断で引用したりしないでください)

閲覧数:23回0件のコメント
bottom of page