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執筆者の写真Yukiko Yoshida

トラウマまるごとパッケージ③


①と②では、一日のうちに起きた2つの体験談を挙げました。

もしかしたら、もっと苦しかった例を挙げたほうがより共感しやすかった人もいるかもしれません。しかし私自身まだそこまでを文章化したり、共有したりするステージにいないので、そこはどうか見守っていてください。 又、記憶に新しかったのと、ノートに記録もされていたので、実際に起きたことの事実からあまり離れずに書くにより適していたようにも思いました。何と言っても、「書きたくなったら書くブログ」なもので・・・。

 

トラウマ橋のこちら側、あちら側

トラウマ、PTSD、フラッシュバック、闘争・逃走反応、過覚醒—。

こういった言葉を、身近な問題として適切に理解している人はごく稀だと思います。

もしかしたら本人の状態を見てて、「そこまでオーバーに反応しなくてもいいんじゃ・・・」とか「えーなんか見てて怖いなぁ」と少なからず感じてしまう方もいるかもしれません。

でもトラウマは、生きている限り、大小はつけられずとも誰もが経験するものではないでしょうか。

だからか余計に、

「そんなの私だってあるよ」という共感された感のない共感、

「もしかしてかまってちゃんなだけじゃ・・・」などの誤解、

また「へこたれたこと言ってても始まらない!ちゃんとがんばって!」などの励まされない励ましの言葉の数々が、苦しくてしょうがないです。

見た目には滅多に頭の中の地獄の戦争が現れないようで、

「どうして分かってくれないの!」「どうして助けてくれないの!」と私が突然パニックしても

周りは「え、何が!?」と真面目に驚かれてしまうこともあります。

同じ空気を吸って、同じ地面を一緒に歩いているのに、まるで生きている世界が違うかのようです。これは、ものすごいフラストレーションです。

 

立場のわきまえ、ほんとのほんと

今まで楽しかった学校が、急に拷問以外の何ものでもなくなる。今まで生きがいだった仕事が、自分の生きづらさになる。人混みを歩くと、全員が自分の敵のように感じる。電車が1駅分も耐えられなくなる。男の人が近づくと意図せずとも全力で拒絶反応が出る。玄関のドアより外に出るのが、エベレストを登るのと同じくらいの試練になる。地獄を生きる、というのは、文字通り生きている世界が地獄になるということ。

もしそれが「分かってあげられない」ならばその現実に正直になってほしいです。

分かってあげられないことが悪い、分かってあげられることが善い、などの価値判断はおいといて。

でももし「この痛み、なんだか知ってる」と感じたら、その気持ちにも正直になってみてほしいです。

同じ地獄というのはないけれど、「なんだか知ってる」と感じたその痛みは、たとえ誰とも共有することができなかったとしても、自分にはリアルだったのではないでしょうか?

がむしゃらに「気の利いた励ましの言葉をかけなきゃ」と正解を考えるよりも、自分がかけてもらって本当に嬉しかった言葉をヒントにしてみたり、対等に腹の割った関係をもったりすることが、助けになることもあると思います。(割りすぎないことも大事ですが。)

私は個人的に、嘘っぽさとか、オブラートに包まれた模範解答が好きじゃありません。「何が言いたいんじゃ〜!」と怒りたくなってしまうのです。

実のところ「私は敵じゃないよ、あなたの側だよ」というのは、話していれば本人には分かると思います。

これはゆきこ個人の体験だけど、味方の顔をしていても橋の向こう側の人間は「向こう側」にしか感じないことがあります。「私にも分かるよそれ」って言われても、本当に分かってもらってるように感じないことがあります。

そう言う意味でも、まじでがちで「正直」になってほしいんだと思います。

それもふまえて橋を渡ってくるときに、「うりゃー」って一気に渡ってこないで、

「よく分かって」から渡ってきてくれると助かります。自分が、どの立ち位置にいるのか。自分が、どちらの人間か。

(ごく稀に、どちらの側でもないグレイゾーンの人がいたり、どちらの側の人の気持ちも分かる人がいたり、橋を行き来するのが上手な人がいたりしますが、稀です。)

たとえばですが、もし以下のことを聞かれたら、明確に答えられるでしょうか。

自分で「助けちゃるゾー」と思っているときは特に、最後の質問をじっくり考えてください。

その人は、あなたにとってどれくらい大事な人ですか。

その人を助けることは、あなたにとってどれくらい大事なことですか。

一口に助けると言っても、あなたはその人にどんな状態になってほしいのですか。

その人にそれを押し付けようとしていませんか。

まずは時間を取って、正直に、賢い心で考えてみてください。ご家族なのか、恋人なのか、同僚なのか、友人なのか、知人なのか、あなたとその人との関係性を見つめ直すことで、自分が本当にしてあげたいこと・できることのラインが把握しやすくなります。

ちなみにこれ、DBT(弁証法的行動療法)の対人スキルでいうとこの、3本柱の把握です。

 

時限爆弾抱えている人を目の前に「ほっとくしかない」

実は、

「私が助けなきゃ!」と衝動的に手を差し伸べて、うまくいかなくなったら急に身を引かれるのもこちらとしては混乱するし辛いですが、

「無理無理意味分からんわ!」と衝動的に、今までの関係をバッと終わらせてしまわれると、こちらとしては過敏に反応してしまいます。今までの関係は何だったの!?と悲しいやら腹立たしいやらパニックします。

確かに、助けを求められても、自分には難しいと感じることもあるかもしれません。

でもそこで自分だけがなんとかする、という必要もないし、自分には全く何もできない、というわけでもないんじゃないかと私は考えます。

例えばだけど、誰か相談できる人にバトンタッチするのも手だし、他にも「手」はいろいろあると思います。

今ある関係を終わらせる必要がないなら、「よくなるまでほっとこう」だと効果的ではないかもしれません。一番良かったときの関係に戻りたくて「早くなんとかしなきゃ」としちゃうのも、効果的ではないかもしれません。どうでしょう?

過干渉やお節介によって状態が悪くなることも確かにあります。「元気出してよ」「もっとポジティブに考えなよ」「ひきこもってるからいけないんだよ」「こわいって思い込んでるだけなんじゃないの?」「祈ったら癒されるよ」「お祓いしてもらいなよ」—挙げたらそれだけで記事が一つ書けそうなくらい、色んな人から、さんざんな悪気のない刺傷を受けました。

ちょっと話がそれるようですが、私が入院前に入院させることを敬遠する両親に、自分のヤバい状態をなんとか伝えなきゃと思い、それを「道端に内蔵でちゃってる状態で横たわってて、どんどん出血してる状態」と描写しました。

どんなに助けてくれても、2人にできることは限られていました。知識のある人なら、状態をみて「なるほどこうこうこうなっている。まずはこうしてみよう」と現実的かつ実用的に考えるだろうところを、「どうしようどうしたらいいんだろう」と自分たちで突いたり直そうとしたりしているかのように感じました。

だからって「だめだ何してもひどくしちゃうじゃん」と放っておかれたら、がちで手遅れになります。実際に危険な行動をする前に、応えられるSOSがあると思うのです。

突き回されてもどんどん悪化して死んでしまう。

ほっといても、確実に悪化して死んでしまう。

傷が開いている状態で、いつどんな怖いことが起きるかなんて、見ている側にも分からないけど、本人にだって分からなくて怖いと思います。

時限爆弾を抱えているようなものです。好きで抱えているわけではないのに。

いつ何がトリガー(引き金)になって、自分でコントロールできない大変な状態に陥るか分かりません。そういう状態で毎日生きてます。

「どうしたらいいか分からない」と認めることは、当事者にとっても、助ける側にとっても、問題解決の第一歩じゃないかなと私は考えます。

(当事者なら:もうお酒に逃げたくないけど「どうしたらいいか分からない」とか、助ける側なら:友達が真面目に死にたいって言ってるけど「どうしたらいいか分からない」とか)

そういうとき、助ける側の人には例えばこんなことを少し自問してみてほしいのです。

本人の本当の声を聞いていますか。

本人の地獄の状態を本人が見ているように見ているでしょうか。

つまり、ほっといたら、それはできません。機会を捨ててしまうような感じかもしれません。

そして、自分の言いたいことを言いたいだけ言ったり、教えたいことを教えたり、「試すべきだ」ということを無理に勧たりしているときは、せっかくの機会を押しつぶしてしまっているようなものかもしれません。

 

トラウマを抱える側とそれを見ている側の間には「谷」だろうと「溝」だろうと、距離があってはほしくないものです。しかし現実は「理解できない側」と「理解されない側」が同じ陸を踏んでいないような感覚があるように感じるのです。

それはPTSDだけではありません。心の病気の広い範囲で言えることかもしれないです。

あまり長いと読んでいていっぱいっぱいになって疲れてしまうと思うので、続きはまた次の記事で書きたいと思います。

大丈夫ですか?一気読みしなきゃ!と追い込んでませんか?

実は書くのも結構ハードワークです。

伝えたいことはいっぱいあるけど、感情的になり過ぎたり、価値判断したり、テーマからはずれたり、難しく言い過ぎたりしないようにって気をつけてると、だんだん「仕事してるんじゃないか」ってくらいの重圧感を感じてきます。

なのでゆっくりで。疲れない程度に一つずつ、続きを読んでいってください。:)

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