いつか本を出そう、というアイディアは、病気初期からありました。
いつかいつか、と思っているうちに、数年が経ち、当時の理想だった「切り抜けたストーリー」にはまだ展開も結末も見えてきていません。
...But what the hell, right?
ある時背中を押すようにして、「治ってからの話を書こうと思わなくてもいいんじゃないか」と言われ、一度アイディアを練り直すことを決意しました。
Why Start A Blog? なぜブログを始めたか
ところがどっこい。
練っているうちにアイディアは散乱とし、一体誰に、何のために、どうやって、どんなことを書けば良いのかが分からなくなった私は、3度目の入院中に、ブログをやっている友達と出会います。
「本じゃなくてブログにすれば?」とは母からすでに言われていたものの、個人的にブログというものを媒体とするのはしっくりこない感覚があり、SNSやブログに依存した苦い経験もあるし、どこか価値判断的なものに重圧されていたのかもしれません。ブログを書くというオプションはリストの最後の最後の方でした。
簡単に言えば、私はその友人と散歩しながら話しているうちに、まずは踏み出せそうなことから着手していこうと思い直したのです。
(ありがとう泣泣)
でもブログに書いたらコメントされたり、評価されたりするのが、怖いし憂鬱—。
定期的に投稿しなければいけないのかと思うと急に心配や不安と「私には続けられない」という考えが襲ってくる—。
実は1つ、自分でも驚くほどずっと続いていることがあります。
病気初期から書いている、「書きたくなったら書くノート」です。
「日記」としたら、書かなければいけないというプレッシャーから、自分で苦しさの迷路に迷い込んでしまうと思い、表紙に「書きたくなったら書くノート」と書いて、私は自分の脳の認識システムにただ書くことの理由と動機だけ与え、プレッシャーを減らしました。(ただのとっさの思いつき。そんな深く考えてやった訳ではありません)
「やっぱりブログを立ち上げよう」と思ったのは、本の構想や、書きたいことの内容を少しずつ視覚化・言語化することで、下準備になればいいなと思ったからです。
続けなければいけない、定期的に投稿しなければいけない、素晴らしい文章を書かなければいけない、文法や言葉を完璧にしなければいけない、間違った情報を流してはいけない、常に誰かが読んでいると思っていなければいけない、下手クソにやってはいけない—。そういった私の中の「考え方のクセ」「事実でなくても従っちゃう思いこみ」は挙げればたくさんあります。その考えたちの陰に、いかに自分の守るべき価値観、手放すべき価値判断、そして本当に望んでいることが隠れていて、どのようにすればメリットを活かしながらデメリットを減らすかも、実はまだ明確に把握できていません。
とりあえずブログのタイトルを「書きたくなったら書くブログ」にしただけスタートでしょうか。笑
自分では「ひねりがないな〜」と思いました。もっとおしゃれでシンプルにしたいと思っていたので。
料理や実験と同じで、「思った通りにいかない」は必然なのかもしれません。その必然の中に偶然があり、その偶然の中に何か「美味しい奇跡」があればいいな、と願います。うー、不味かったらそこから学ぶしかない・・・。
どんな人が読んでいようと、どんな心の状態で書いていようと、このブログは、自分らしく、正直に、適切に、素直に、できるだけ賢い心で(マインドフルな状態で)、書いていけたらと思います。ま、きっと自分で思っている以上にクオリティーを追求している可能性は大きくあるのでしょうが・・・。
But I Prefer It Printed. でも媒体は紙が好き
ブログを始めるとはいえ、やっぱり私は紙が好き。めくるときのワクワク、紙が手に吸い付く感じ、紙の香り、ページごとの思い出、物体としてそこに有るということの安定感。紙には紙のよさがあると思うのです。
いつか一つの形となってくれたら、と思い浮かべるだけで、少しワクワクできます。
DBT(弁証法的行動療法)をやってきた中で、例えばつらさを乗り切るためのリストを作ったり、自分が将来楽しみにしたいことのリストを作ったりするとき「いつか本を書く」というのは常に材料の一つでもありました。
とはいっても、現実受容のスキル(徹底的受容)で教わったように、「すべての人にとって未来には限界がある(現実的な限界を受け入れる必要がある)ということを受け入れる(資料より)」ということを意識してみています。もしかしたこのブログを突然やめたり、レベルを何十段階も下げたり、趣旨や方向性が変わったりするかもしれません。
何が起こるか分からないけれど、下書きを書いているつもりで書いていきます。
興味をもって、関心を持って、観察してみてくれれば嬉しいです。